「教育」という言葉には、誰もが自分なりの経験と想いを重ねています。誰もがかつて子供だったからこそ、教育を語る資格はあるといえるでしょう。しかし、その語り口や価値観が、果たして本質を捉えているのかと問えば、首を傾げざるを得ない場面が多々あるのも事実です。
塾業界に身を置く者として、私は近年の「効率至上主義」に強い違和感を覚えています。「最小の努力で最良の結果を」「いかに無駄なく成果を得るか」——一見スマートなこの考え方は、教育現場においては大きな誤解を招きかねません。子供たちの「将来の自立」という教育の本来の目的から逸れてしまう可能性があるからです。
たとえば、以下のような4つのケースを想定してみてください。
- 100%の努力で合格
- 100%の努力で不合格
- 1%の努力で合格
- 1%の努力で不合格
教育的効果が最も高いのはどれでしょうか?
多くの方が①を称賛し、②にも価値を認めるでしょう。④もまた、努力しなかった結果を受け止めるという意味では、本人の学びにつながります。しかし、③には注意が必要です。
わずかな努力で合格する。これは運か、もしくは持って生まれた才能かもしれません。塾業界ではこの③を成功事例として誇らしく語ることがあります。「効率的に合格できたのだから、それで良い」と。しかし、本当にそうでしょうか?私はそうは考えません。確かに、効率よく結果を出すスキルは、指導者としての腕前を示すものかもしれません。しかし、その結果が子供の将来を見据えたとき、本当に教育的効果を持つのかは疑問です。
教育は、その過程にこそ価値があります。困難にぶつかったとき、どう立ち向かうのか。失敗したとき、何を学ぶのか。努力を重ねたことで、自分の限界と可能性をどう認識できるのか。こうした体験の積み重ねこそが、子供の人間形成において欠かせない栄養となります。
もちろん、努力が必ず報われるとは限りません。100%の努力でも不合格になることはあります。しかしその悔しさや挫折は、必ず人生のどこかで役に立つ。一方で、努力を怠って合格してしまった子供は、障害を乗り越える経験を奪われてしまうのです。
だからこそ、私たちは「教育」と「教科指導」を明確に分けて考えなければなりません。教科指導のスキルとして効率を重視するのは当然です。しかし、それを教育と同義にしてしまっては、子供の本質的な成長を見誤ってしまいます。
私は、努力が報われる経験を重ねさせることこそが、真の教育だと信じています。それがたとえ合格という結果に結びつかなくても、子供が自分の成長を実感し、自信を育むことができれば、それは教育の大きな成果といえるのです。
効率ではなく、過程の豊かさを大切に——
それが、KOSHIN学院の教育理念です。
泥臭い努力の中から『成長に必要なもの』が見つかる!
それでは今日はこの辺で! また明日♪
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