こんにちは。KOSHIN学院の塾長瀬下です。
今日は少し、私自身の原点とも言える「叱ること」についてお話ししたいと思います。
【動画】塾長が出来ればやりたくない仕事――生徒を叱ること
忘れられない、あの時の先生の叱責
私がまだ学生だった頃、ある先生に厳しく叱られたことがありました。今でもその時の情景を、鮮明に覚えています。教室の空気、先生の表情、そして何よりもその言葉の重み。あの時の叱責は、私の心に深く刻まれ、その後の人生の指針となりました。
当時は、正直に言えば悔しさや戸惑いもありました。でも、時間が経つにつれて、先生の言葉の裏にあった「本気の愛情」と「私を信じてくれていたからこその厳しさ」に気づいたのです。あの叱責がなければ、今の私はいなかったかもしれません。
「叱らない教育」への違和感
近年、「叱らない教育」がもてはやされる風潮があります。もちろん、頭ごなしに怒鳴るような指導は、子どもの心を傷つけるだけで意味がありません。しかし、「叱ること」そのものを否定するのは、私は違うと思うのです。
「叱らない教育」の背景には、保護者からのクレームを恐れる気持ちや、子どもとの衝突を避けたいという大人側の都合が見え隠れします。けれども、本当に子どもの未来を願うならば、時には心を鬼にしてでも「伝えるべきこと」はあるはずです。
叱ることは、心を耕すこと
私は、塾長として日々多くの生徒たちと向き合っています。彼らは皆、可能性に満ちた存在です。しかし、時には道を踏み外しそうになったり、自分の甘えに流されそうになることもあります。
そんな時、私は「叱る」ことを選びます。もちろん、叱るのは簡単なことではありません。私だって、できることなら優しく微笑んでいたい。でも、目の前の生徒がこのままでは後悔する未来を歩んでしまうかもしれないと感じた時、私は塾長としての責任を果たすために、心を込めて叱ります。
叱るとは、相手の心に種をまくことだと思っています。その種はすぐには芽を出さないかもしれません。むしろ、最初は反発や戸惑いを生むこともあるでしょう。でも、やがてその種は、時間をかけて心の中で芽吹き、人生の節目でふと顔を出すのです。
「叱る」には覚悟がいる
叱るという行為には、覚悟が必要です。相手に嫌われるかもしれない、誤解されるかもしれない、そんな不安と常に隣り合わせです。それでも私は、叱ることを選びます。なぜなら、それが「本気で向き合っている証」だからです。
生徒たちには、いつか気づいてほしいのです。「あの時、先生が叱ってくれたのは、自分のことを本気で思ってくれていたからなんだ」と。そう思ってもらえる日が来ることを信じて、私は今日も生徒たちと向き合っています。
叱られた記憶は、人生の羅針盤になる
私自身がそうであったように、叱られた経験は、人生の中で迷った時の「羅針盤」になります。あの時の先生の言葉が、今でも私の中で生きているように、私の言葉もまた、誰かの心に残ってくれたらと願っています。
教育とは、知識を教えるだけではありません。心を育てること、人生を支える力を育むことです。だからこそ、私は「叱ること」を恐れず、愛をもって伝え続けたいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
KOSHIN学院では、子どもたちの未来を本気で願い、心を耕す教育を実践しています。時には厳しく、でもいつも温かく。そんな学びの場を、これからも大切に育てていきます。
親じゃなければ叱ってくれない
それでは今日はこの辺で! また明日♪
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