「叱る」という愛情 〜塾長としての葛藤と覚悟〜

塾長という立場にあると、日々多くの喜びに出会います。生徒が目を輝かせて学びに向かう姿、保護者の方々との温かな交流、そして何より、生徒たちが少しずつ成長していく過程を間近で見守れること。それは何ものにも代えがたい幸せです。

しかし、そんな中でも、私にとって最も心が痛む仕事があります。それは「生徒を叱ること」です。


叱ることは、嫌なこと

正直に言えば、叱るのは嫌なことです。できることなら、いつも笑顔で生徒と接し、楽しく学びを進めていきたい。叱ることで生徒との信頼関係が揺らいでしまうのではないか、心を閉ざしてしまうのではないか——そんな不安が頭をよぎります。

でも、だからこそ、私は「叱る」という行為に対して、真剣に向き合わなければならないと思っています。

叱ることは、導くこと

叱ることの目的は、決して感情をぶつけることではありません。生徒を傷つけるためでも、支配するためでもありません。それは、彼らを「正しい道」に導くための、大切な手段なのです。


例えば、約束を守らない、他人に迷惑をかける、努力を怠る——そんな行動が見られたとき、私たちは見て見ぬふりをすることもできます。しかし、それでは生徒の未来に責任を持つことはできません。

叱ることで、生徒は自分の行動を振り返り、何が大切なのかを考えるきっかけを得ます。もちろん、すぐに理解してくれるとは限りません。反発することもあるでしょう。でも、時間をかけて、言葉を尽くして、心を込めて伝え続けることで、少しずつその意味が伝わっていくのです。

叱ることは、信じること

叱るという行為には、もうひとつ大切な意味があります。それは「その生徒の可能性を信じている」というメッセージです。


もし、何も期待していなければ、叱る必要はありません。諦めてしまえば、注意すらしないでしょう。でも、私は生徒たちの可能性を信じています。だからこそ、時には厳しい言葉をかけるのです。


「君ならできる」「本当はもっと素晴らしい力を持っている」——そんな思いを込めて、叱るのです。

叱った後こそ、寄り添う

叱った後は、必ずフォローが必要です。叱ったまま放っておくのではなく、心のケアをしながら、次の一歩を一緒に考える。時には、そっと声をかけるだけでもいい。「さっきは厳しく言ったけど、君のことを本当に大切に思っているよ」と伝えるだけで、生徒の心は少しずつ開いていきます。

叱ることは、関係を壊すのではなく、むしろ深めるための行為でもあるのです。

叱ることは、愛のかたち

塾長として、私は生徒たちの未来に責任を持っています。だからこそ、嫌なことでも、逃げずに向き合わなければならない。叱ることは、愛情のかたちであり、信頼の証であり、導きの手段です。


これからも、私は生徒たちと真剣に向き合い、時には厳しく、でも常に温かく、彼らの成長を支えていきたいと思います。


今日のポイント!

私は叱っても無駄だと思ったら絶対に叱らない。



それでは今日はこの辺で! また明日♪


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この記事を書いた人

瀬下淳志のアバター 瀬下淳志 KOSHIN学院塾長

神奈川県平塚市田村にある高校受験専門の集団個別指導の学習塾です。お勉強が苦手でもお断りしませんが『やる気』は大いに気にしています。